長く曲がりくねった思考

人はなぜ表現をするのか、文章であれ、絵画であれ、音楽であれ。


むろん、ことさら そうした表現をするまでもなく、人が生きるという
こと自体が表現に違いない、蝶が舞い、鳥が歌い、蜘蛛が巣をつむぐのと
同じことで。


けれど、ぼくは考えてしまう、なぜなのか、なぜぼくは生きているのか、
なぜぼくは生きて表現するのか、なぜぼくはただ生きるという表現で
満足できないのか、しかもなぜ、しっかり表現することに向き合わないのか。


きみはなぜ生きているんだろう、もう死んでしまおうと思ったのに、
どうやって それを乗り越えたんだろう、それを乗り越えたとき、
きみにとって生きることは どんな意味を勝ち得たんだろう、
とにかく それは、だらだらと行き続けるぼくには知りえない
神秘の扉の向こう側。


ぼくはその扉の向こう側に行きたいのだろうか、行こうとするのだろうか、
行くことができるのだろうか、そこのところで、ぼくは立ち止まって
途方にくれているんだろうか、途方にくれた振りをして、誰かに
なぐさめてほしいと思っているのだろうか、まあ、そうした細々(こまごま)した
ことなど、ほんとにどうでもいい、どうでもいいけど、そうやって
思考の迷路を辿ることが、たぶん今のぼくの寂しい一人遊び。


こんにちわ。
ありがとう。
すまないね。
さようなら。


それだけ言えれば、あとの言葉はいらない。