シャクトリムシの教え

その昔、つとめをやめてブラブラしていた頃の話。


実家の縁側で日向ぼっこをしていると、庭に置いてある植木鉢に
雑草が一本はえていて、その枝の一番先にシャクトリムシがいるのが
見えた。
シャクトリムシは葉っぱを食べており、食べ終わると他の場所へ
動こうと歩き始めたのだが、どうした加減かほかの場所へ行くことが
できず、その草の枝の先でぐるぐると同じところを回り始めてしまった。


枝の一番高いところで、体を伸ばし、右へ左へ体を振って行く先を探す。
しばらくすると別の枝へ前足がとどき前進を始めるのだが、
そこを伝っていくとまた元の枝の先へ戻って行ってしまうのである。


きれいに同じ道筋を二度、三度と進んでいくその姿を見ていて、ぼくの
頭に浮かんだのは「堂々巡り」という言葉だった。
この調子じゃあこのムシはいったいどうなってしまんだろう、このまま
こうやってぐるぐる回り続けるんだろうかと、ムシの愚かさをどこか
見下している自分がいた。


五、六回もぐるぐる回りを続けたあとだったろうか、なにかちょっとした
弾みでもあったのだろう、ムシは別の道を見つけると、なにごとも
なかったかのようにその草を離れて歩いていってしまった。
それを見てぼくは思った、「堂々巡りとは早合点だった、一見堂々巡りに
思えてもこの世界には完全な無限ループなんてありゃしないんだ」と。


つとめをやめたものの、その先これといってあてもなく、将来について
漠然とした不安を感じつつダラダラと日々を過ごしていたぼくは、その
シャクトリムシがくれたメッセージを小さな発見として受け止めた。
毎日同じ繰り返しのように思えても、まったく同じ日なんて決してない。
明日は明日の風が吹くんだから、その風に身をまかせてりゃあ、きっと
何かがやってくるんだと。


小さな小さな発見ではあったが、そのときのことを思い出すと、今でも
なんだかちょっと幸せなような気分になる。
そして、そのときからずいぶん遠い道のりを歩いてきたもんだなあと、
不思議な感慨にふけるぼくがここにいる。